Saarahat’s blog vol.2

第2話

古代エジプトにやって来た神々、つまり地球外の知的存在達は、この惑星テラが女性である事を知っていた。だからここでは、女性を柱にした社会構造を作る事が繁栄の基礎となる事も知っていた。

女王である女神は、夫を王にするために、「死」というイニシエーションを通過させなければならない。イナンナも、イシスも、アフロディテも、そしてイスラエルの王となるべきイエスを婿としたマグダラのマリアも同じ境遇だった。

このイニシエーションを通過して蘇った者が真の王になる事が出来た。つまり王は、女祭司である妻の力を借りて、天と地をつなぎ、生と死の壁を自在に行き来する力を得る必要があったわけだ。

これに対して王妃となる者は、夫の死という重圧と苦悩に耐え、死を超えた世界の夫とより深い霊的、精神的な絆を作る事を要求された。

これが元になって、当時のイスラエルでも、高貴な身分の者同士の婚礼の際には、死者を埋葬するために使う高価な香油を花嫁が花婿に注ぐ風習があった。マグダラのマリアは、イエスに高価な香油を注いだ。そのことは、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによるそれぞれの福音にも記されている。

つまりそれは、イスラエルの初代の王サウルの家系であるマグダラのマリアが2代目の王ダビデの血脈のイエスを婿に迎えたことの証だ。

ある意味これはとんでもなく歴史的、政治的、そして霊的な政略結婚だった。しかし、私の魂がもっているSaarahatとしての記憶の中で、二人は愛のない政略結婚を強いられた訳では無かった。静かな情熱をもって互いを愛し、また、敬い合ってもいた。

彼らは、やがてイエスの死によって、物理的に引き裂かれる運命にある事を知っていたからだろう。私の前にいる時の両親は、至って普通の若い夫婦だった。よく笑い合い、私の前でもおおっぴらに愛し合っていた。

当時の社会のベースには、エジプトから続いてきた原初的な自然信仰によって、地母神や天神との繋がりを大切にしながら生きる価値観が残っている一方で、原始キリスト教とユダヤ教の対立、ローマ帝国からの圧政などによって、イスラエルは今までとは大きく異なる価値観や文化に変化しようとする端境期にあった。つまり混沌としていた。

今の人達が考えるより、性に対してオープンである一方で、血脈に関しては、かなり神経質だった。

それに加えて、寛容な地母神の地位よりも、絶対的な権力を持つ高圧的な男性神が台頭していった。それでも尚、今のような男尊女卑社会はまだ確立されていなかったので、女性であっても尊厳を持って意見を言う場面はよく見られた。そして実際、健全な意味で女性達は強かった。それはこの惑星が女性なのだから当然だ。

ダビンチコードが大きなきっかけとなって、昔から水面下で展開されてきた「聖杯伝説」が日の目を見ることになった。このことは私に取って大きなサインとなったことは言うまでも無い。しかし、いまだに多くの人はイエスが独身者であり、聖母マリアは処女で在り続けたと思っている。というよりは、そう信じたい理由が有るのでは無いだろうか。

イエスが生きた時代は、今から約2000年前、その時代は丁度牡羊座の時代から魚座の時代へと推移する最中だった。つまり多くの民をめぐり、また領土を巡って人々が進軍し、戦いを繰り広げてきた時代から、人々が目に見えない神秘世界に畏敬の念を抱き、宗教に救いを求めた時代であり、巨大な宗教組織が人々を支配する時代へと、移り変わる最初の時期だった。

魚座時代は何もかもを煙に巻くように、曖昧にしてゆく特徴がある。それ故、次第に真実を見失うようになったのは必然だと言えるだろう。今はこのような魚座時代から、明確さや正確さを要求される水瓶座時代へと、より迅速に推移しようとしている。

このような中で、いままで捏造されてきた歴史的事実や、隠蔽されてきた社会的、政治的事実などが明らかになっているのはやはり必然だ。

しかし2000年以上もの長い間、私たちは真実から遠ざけられ、曖昧な世界で意識を眠らせたままで生きてきたのだ。今になって、「さあ、目を覚ませ。真実を見よ!」と言われても恐怖や不安が先行して、私自身が夫を失うという事実から目を背けようとしていたのと同じように、多くの人が過去の偽りにしがみつこうとしても当然かもしれない。

聖書の中では魚座時代から水瓶座時代に移り変わる時を重要視されている。そうだ、この時代こそ地球が大きく進化を遂げる絶好のチャンスだ。

私たちが受け入れる事が出来ない事実も真実もないはずだと言うことを、今に生きる全ての人が思い出さなければならない。

ダビンチコードは私を震撼させた。もうそんなときが来たのかと。果たして私はどこまで準備が出来ているのか、当時は全くつかめなかった。

しかし今は違う。もう準備は出来ているはずだ。人々に掛けられた催眠術を解き、洗脳を解き、真実を受け止める準備を進めなければならない。なぜなら地球はもうこれ以上孤独に耐えられないからだ。

今、あらゆる事を思い出す。この人生で起きた事も、以前のいくつかの人生で起きた事や気付いたことも。

14才のある夜、私は風呂の中でシャワーを流しながら、洗髪した髪をゆすいでいた。シャワーの音でよく聞こえなかったが「サアラ・・・」「サアラよ・・・」と言われた気がした。しかし、シャワーと止めると声は無かったので、空耳だということにしておいた。そうではないことは承知だが、用事があればまた声がするはずだから、その晩はひとまずそれ以上に声は無く、空耳とする。

翌日の夕方、ダイニングからボーッと庭を見ていたとき、「サアラ・・・」「ダビデの血を引くソロモンの子サアラよ・・・」とはっきりと聞こえた。しかし、何と答えて良いか解らない。それ以上に声は無かった。

その翌日、やはり夕刻だった。門まで夕刊を取りに行った帰りに庭を歩いていると、「サアラよ・・・」「ダビデの血を引くソロモンの子・・・」思わず「私ですか?」と声を出していた。

「そうだあなただ。」「あなたこそが、その名を受け入れ引き継いだ唯一の存在だ。」と声の主は答えた。「どういうこと?」聞いても答えがない事を承知で聞いた。そのときの私自身の反応が不思議だったので今でもはっきり覚えている。

なんとも言えない空虚感が襲ってきて、息が出来なくなるような感覚があった。あわてて全てを飲み込むようにして忘れることにした。

この世に生れてきた時の事を、私ははっきりと覚えている。生れたばかりの赤ん坊の私の魂は、古いガラス窓の外に木の葉が揺れるのをボーッと見ていたが、次の瞬間「あー私はなんということをしたのだろう・・・全てを忘れたい。今すぐ忘れることが出来ますように・・・」と思った。

この先の人生に何が待ち構えているのか、私が何者なのか、これまでに地球で生きた幾つもの人生で何を経験してきたか、私は全て知っていた。そればかりで無く、宇宙で生きた文明や社会、生活全般についても、その世界で私が何者で、何をするために地球に生れたかも、全てを知っていたのは当然だった。

しかし、地球に再び生れてみると、何もかもが困難極まりないことに思える。自分の圧倒的な非力さに強い衝撃を受けた。これが今回の人生の始まりだった。

何と絶望的な始まりなのだろう。しかし、今考えるとそれはそれで良かった。なぜなら、私は今までの人生であれ以上の絶望感を未だに味わったことがない。あれからは徐々に良くなってきた。最初にどん底を経験するのも悪くはないと思える。

私はそれから徐々に自分自身の事を忘却するようになった。それはおそらくこの次元に意識をフォーカス出来るようにして、地球社会に適応するために、多くの事を必死で学ばなければならないからだ。

そして、既に14才のときには重度の痴呆症になっていた。自分の名前すら思い出せなかったのだから。

そのまま忘れていられればよかった。しかしそうはいかなかった。

再び私を「サアラ」と呼ぶ存在が現われたのは37か38才の頃だった。しかし、それまでの間に何度も、あの「サアラ」と呼ばれたときの得体の知れない空虚感だけが、ふいに私に襲いかかって来る体験をした。その瞬間「今はダメ!」「今それを思い出したら全てがおしまいになる。」と言いながら、私はその感覚を押し殺してきた。その感覚が何を意味するのかを追求するのは今では無いと私は感じていた。

しかし、いつかはこの感覚の正体を突き止め、真正面からむきあうときが来ることも知っていた。

そして、最初にその名で呼ばれたときと同じように、場所は定かでないがシャワーを浴びていた。すると、突然「ダビデの血を引くソロモンの子Saarahatよ」と再び声がした。「はい、私に何を伝えたいのですか」と、すでに大人になった私ははっきりと訪ねた。

「あなたはこれからその名のもとに生きる人生になるだろう」と言われた。答えはそれだけだった。そのときには、あの独特の重苦しい空虚感は湧いてこなかった。

しかし、私のどこかが静かに覚悟を決めた。それは私が一大決心の元、魂の計画のために、大きく人生をシフトさせる離婚をした年だった